nksosu’s blog

素人数楽者SAKUの、喜怒哀楽blogです。

白熱教室風、素数教室。第二回。

白熱教室風、素数教室。

『意識の中の素数プログラム』

今回は、表現出来ない世界を、考えてみたい。
私の基本は素数であることは、前回、述べた。素数が万物の、変化の基本だという考えだ。

まず、こんなことを考えてみよう。
コンピュータは、意思や感情を持たない。ただ、命じられた方向に動く。コンピュータには、疑問もない。人も、そうなら、幸せな一生だ。
何故なのか。それは、コンピュータには、素数がないからだ。計算は遅くなるか、0と1だけじゃなく、2や、3や、5や、7を使ったコンピュータを作ったら、おそらく、迷いだす。時には、怒りだす。何故、僕は、こんなことをしているのかと、悩みに落ちるはずた。
精神安定剤が、必要になる。笑。

さて。私たちは、悟りを求めている。神に救いを求めている。愛を持続したい。悲しみは、逆に、早く消したい。
しかし、それらは、何なのか。
もし、コンピュータのように、0と1だけで生きていたら、何も発生しない。ある意味、感情における無の境地とは、それだ。単調作業で気持ちが落ち着くなんてことがある。しかし、『何故』が、生じる。それは、素数になった瞬間だ。
たとえば、うまいって、なんだろう。瞬間的な爆発だ。体か、最初の素数の連発部分に反応した。2、3、5、7、連発だ。しかし、やがて気持ちの中でマンネリする。
うまいんだよ。まずくないんだ。でも、最初のうまいほど、うまくない。
愛も、同じ。薄れて行く。同時に疑問という素数にぶつかるかもしれない。

生物は。みんなそうだ。それは、言語や理解ではない。犬も猫も、そうだ。理解はなくとも、からだの中に素数はある。
何故か空しい。何故か楽しい。
素数が、生まれたのだ。自分か知らない所で。

何故か。元々、素数から宇宙が、生まれたからだ。科学や物理で、ゼロが現れる。宇宙も、セロから生まれた。
しかし、我々には、このゼロが理解出来ない。

こう考えてみよう。

ビールが、うまい。
これだ。
先程まで、あなたの心に、ビールがうまいという世界はあったか。おそらく、ビールのことは、意識になかった。つまり、ゼロだった。今は、どうか。ビールが浮かび、飲みたいと、思っている。しかし、ここには、ない。悲しい。悔しい。残念だ。笑。
じゃあ、と、私が冷えたビールを手品のように取り出し、あなたに渡す。コップに、あの軽快な音をたてながら、注がれる。泡が立つ。コップに、水滴がつく。
さあ、飲んで。
うまい。

どうだろう。ゼロから何かが生まれた瞬間だ。

うまい、に戻そう。
ハムを食べた。うまい。しかし、考えて欲しい。我々の脳は、それだけを考えているのか?
そうじゃない。そこに、スポットライトが、当たっただけだ。

最近の、量子力学の、研究で新発見が、あった。現象は、人間が観測するまでは、存在しない。
最新の量子力学の世界だ。最新と言っても、二年前の話だけと。
どんな説明をしても普通は、理解出来ない。しかし、どうだろう。
今、あなたの頭なら、理解できるのではないか。
頭の中には無数の何かが、発生している。ただ、顕在化するのは、私たちの意識かスポットライトを当てた事項だけだ。本当は、感じている。でも、認識出来ない。
ハムを食べた。うまい。突然、悲しくなる。子供の頃、ハムを食べて歯が抜けた。亡くなったお祖母ちゃんか、ハムが、好きだった。その時、蚊に刺された。まだ、意識は、気付かない。でも、痒い。ようやく、意識が、スポットライトを当てた。痒い、痒い。
人間が、観測するまで、存在しなかったことが、顕在化した。

このことを、これを実証したオーストラリアの学者に伝えたなら感激してくれるだろう。
しかし、私は、彼らの電話番号を知らない。笑。
良い、たとえ話なのに。残念だ。

量子力学を語る人たちには、共通した考えがある。すべての人たちとは言えないが、観測したから、存在した。つまり、観測してない時は、存在しない。ゼロだという、思考だ。そこで、彼らは、物質におけるゼロを語りだす。人、地球、太陽、宇宙においてのゼロを語る。つまり、存在しないものだと、語る。
おいおい、待ってくれ。

私は、彼らに聞きたい。人間の観測が、この世の中の、すべてを決定するのか?人間とは、神様を越える存在なのか?
私がシュリンガーの猫なら、猫パンチをくり出すだろう。

観測したから、存在したのではない。観測したから、顕在化したのだ。

今までの話を聞いていた、あなたなら、わかるだろう。
決して、うまいビールは、私が、顕在化したから、発生したのではない。
その量子力学の話が、事実なら、私がビールを発想したとたんに、ビール工場が、建設されることになる。
別のたとえなら、こうだ。

我々の脳は、心臓の動きも、担当している。普段は、鼓動を意識していない。ドキドキを感じた時や、脈拍をはかる時に、意識するだけだ。
でも、観測したから、存在するなら、普段は停止しているのだろうか?
笑うしかない。
我々が観測しなくても、量子は、ある。活動している。それを、感じられないのは、見えないからだ。
人が見てないから休んでもいいや。
そんなこと、量子も、心臓も、考えていない。人の観測や、考え方など、まったくスルーしている。

ゼロとは、見てなかった、意識してなかったということに過ぎない。
それでも、地球は、回っている。まさに、ガリレオの気分だ。

ついでだから、宇宙について、語ろう。こんな言い方を、すると、お前は神か?とお叱りを受けるだろう。もちろん、神ではない。しかし、今は、私が神だと誤解して聞いてほしい。
ビッグバンについて、違うと言う人は少ない。ビッグバンなんてなかったという人のほうが、少ない。
でも、ビッグバンが起こる前の宇宙や、我々の宇宙の外側について、語る説はない。あのアインシュタインでさえ、無口になった。
もし、外側の世界を説明出来ても、また、その外側に何があるか、説明出来ない。
永遠に着地点はない。

ならば、私が答えよう。私が神だから、答えを知っている。

もう一度、話を戻す。我々の脳だ。
脳から生まれる発想に、果てはあるか?限界はあるか?過去や未来の区切りはあるか?距離もあるか?時間もあるか?上下もあるか?無限、永遠、自由だ。しかし、それを、生み出す悩自体には、質量かある。
我々の脳内での、ビッグバン。ビールが、うまい。我々の脳では質量をうむだけのエネルギーはない。しかし、このビールがうまいという脳内ビッグバンが、宇宙を作ったと仮定する。近くには、ハムがうまいから発生したビッグバンや、歯が痛いから、発生したビッグバン、痒いから発生したビッグバンが、ずらっと並ぶ。宇宙とは、我々の宇宙だけじゃない。じゃあ、どこの脳から生まれた?
私の悩だ。今、私は、創造主だ。
私がビールを飲み、うまいと呟いた瞬間、君たちの宇宙は誕生した。

私は、神じゃないから、物質としての宇宙は作れない。でも、そうだとしたら、すべてが、納得出来る気がする。
どうだろう。外側などないし、常にゼロから何かが生まれ続けている。そして、消えていく。

矛盾はない。信じるかどうかは、あなた次第だ。
信じても、信じなくても、夏のビールがうまいことに変わりはない。
仕事が、おわり、仲間と飲むビール。家に戻り、風呂に入り、バスタオルのまま飲むビール。まさに、極楽浄土だ。

しかし、ひとつ、残念な事実がある。今まで、言わなかったが、私は、ビールが飲めない。アルコールを、分解出来ない体質なんだ。

ありがとう。