『等式不成立を最終とするなら、そこには絶望しかない。等式がただ成立しないという現実しかない。それを証明して何を得られると言うのか?』。フェルマーの最終定理とは哲学だった。だから、最終定理ではなく、出発定理としなければいけない。
『フェルマーの最終定理』とは、哲学だった。迷宮数に満たされた3乗世界。そこには等式はなかった。しかし、絶妙な迷宮バランスが存在している。つまり、それは、最終ではなかったのだ。
迷宮数とは、何か?
ただの無理数ではない。哲学的な意味を持ち、日体大の集団行動のような粛々としつつ躍動を持つ世界。
数学とは何か?
数字とは何か?
数列とは何か?
等しいとは何か?
それを、静かな気持ちで考えたくなる世界だ。
つまり、生きるとは何か?
人生におけるバランスとは何か?
心とは何か?
何故、生まれ死ぬのか?
生きるとは迷宮。死ぬとは、脱することなのか?
そんな、迷宮バランスを解明したい。
新しい世界がある。
もし、等式不成立を最終とするなら、そこには絶望しかない。等式がただ成立しないという現実しかない。それを証明して何を得られると言うのか?
本当に力を注ぐべきことは、別にある。
フェルマーの最終定理が、それを教えてくれた。
そう、思う。
次回から、迷宮バランスの謎にチャレンジしたい。
続きます。